街角日記

小説や日頃の鬱憤etc

トリニティ ヴァルキュリア

<プロローグ/光の消失>

 

世界は無から始まったとされる。
何も存在しない。生命の息吹も、世界を構成する概念すらも。世界と呼ぶには相応しくない。なぜなら、そこにあるのはただ"無"のみであるからだ。

無界むかい。我々はそれをそう名付けることにした。

この発見により、さらに新たな疑問が我々の中で浮上した。
それは、なぜ無界から生命が誕生したのか。そもそもなぜ世界という概念が生まれたのか、という疑問だった。その疑問を突き詰めていく内に、我々は世界創造の原点とも呼べる力を発見した。
世界が生まれるよりも先に創造された、世界創造の源泉。
三種の神器。そう名付けられた、三つの道具。

一つに、"魂杯ワルハラ"。生命を生み出すことのできる、神秘の杯。

一つに、"時空の鍵クロノスギア"。時間軸を生み出す、過去現在未来を繋ぐ鍵。

一つに、"聖なる槍グングニル"。世界の概念を作り出す、最高峰の槍。

これら三種の神器の出現により、無界とは異なる新たな世界が構成された。
そして魂杯から生み出され、その世界の住人ともいえる存在を、我々は"神霊"と呼称する。
彼らは世界の全てを掌握していた。それが神霊と呼べる所以ゆえんである。我々には到底たどり着くことのできない、神の如き力であった。

創世記そうせいき ~起源ジュネシス~ より>



現在からさかのぼること数年。
五つの帝都から構成されるこの世界の片隅かたすみ、人の気配すらない辺境へんきょうの地。障害物すらない平らな地平の上で、新たな運命さだめが紡がれようとしていた。
太陽は直上ちょくじょうに位置するが、しかし厚い雲がその光線を遮る。地表に注がれる明るみはほとんどなく、周囲を渦巻くのは不穏な空気。どんよりとした、まるで何かにこびり付いた泥のように、その場一定の空間を占拠する。その要因は光量の違いなどではない。明らかな人為的要因。いや、人と呼ぶのはまた違う。それは恐らく悪魔だ。周囲を巻き込むほどの悪気を垂れ流す。それほど影響力を持つ何かはきっと、この世ならざる物なのだろう。

厚く遮る雲により光量が減った地平の表面には、三つの人影がうごめいている。正しくは二つの人影と、一つの影だ。前者は紛れも無く人の体をうつしたもの。だが、後者はその表現のまま。まさしく、影そのものだった。周囲を蝕む悪気と地表の行方を散らす暗闇。そのせいか、第三者視点ではよく分からないだろう。

影そのものだと表現したそれは、だがそれもまた異なる表現であると言わざるを得ない。本当にこの世の概念そのものなのか? そう疑問を抱かざるを得ないほど、その物体は不可思議ふかしぎな動きをしていた。ユラユラと揺れるの陽炎かげろうの如く、まるで獲物を狙う狩人かりうどのようにその覇気はしっかりと前方の人影二つを捉えている。意志を持った黒い物体。ユラユラと揺れるのは、その原型を保つことが出来ないからか。それは自由にその形を変容へんようし得ることを意味している。覇気か、殺気か。いや、全てを飲み込まんと敵を喰らおうとするその姿は、影ではなく"闇"だ。

そして闇が狙う先に揺らぐ人影は、一つは少しばかり背の低い少年のもので、もう一つは高身長の女性のものだ。少年は澄んだ瞳を濁らせて女性の一歩後ろに下がり、臨戦態勢を取る。女性は少年を守るように一歩前に出て、黄金色の長髪が風で揺れた。誰もが見惚れる美女で、闇を睨むその姿にさえ美しさが滲み出てしまうほど。だがその美しさも、まさに戦場を駆ける戦乙女ヴァルキュリア。全身から溢れる光の粒子の輝きは天上知らずに跳ね上がる。目で見て取れる、臨戦態勢の証明だった。

「ふ、はは。久しいな、貴様ら。俺を覚えているか?」

重々しい声を響かせて闇はその形を変形させながら、眼前の敵に一歩足を近づけた。二対一という圧倒的不利な立場の中で、余裕の気配を感じさせる闇の声。その声主は闇を纏い、そして闇を流出させる。この場全体の空気を支配するのは、間違いなくそれが持つ闇の影響だろう。闇の中に埋もれる誰かは紅い瞳を滾らせて、支配領域を徐々に拡大させていく。

「久しい? 貴方に時間の感覚があるかどうか定かではありませんね。無界で力を蓄えていたのでしょう? あそこに時間軸など存在しないはずでは」
「言葉のあやだよ、綾。全く可愛げがない奴だよ、貴様は」
「なぜ貴方に可愛げなんか見せなければ? 無意味ですよ。そんなのしゃくです」

「はは、は! 笑うしかねーか!」

女性と闇の対話は、恐らくこの雰囲気から的外れのものだったのだろう。少年はそんな二人を見て、困惑の表情を浮かべていた。きっとその雰囲気に違和感を覚えたこと。そして何より、その場の異常性に気づけたからだ。

無界。女性から漏れたその言葉の真意。完全にという訳ではなくても、少年は少しばかりだがその真意を汲み取った。

「その体から溢れ出てる泥が、無界を構成する闇という物質ですか。原理は分かりませんが、相当な代物しろものみたいですね。周囲の空気を汚染するほど、ですか」
「ああ、前回は見せる前に逃げてしまったからな。今回は出し惜しみせずに、だ」
「そんな宣言は聞きたくありませんでしたが。貴方のその力は、悪い予感しか促しません」

だから、ここで朽ちろ。そう言わんばかりの彼女から漏れる殺気に、少年は無意識に一歩後ずさった。自分では知らないところで、彼女達には因縁があったのだろうか。少年はそう予感する。

「悪い予感? 当たってるぜ。なにせお前達はここで死ぬ。闇に喰われてな」
「闇が私達を食べる、と? なるほど。貴方の力、少しばかり見えてきました」
「へぇ、これで? いい洞察力どうさつりょくだよ。面白い」

闇の奥から現れたのは、女性の後ろに下がった少年と同年代の容姿を持った少年だった。あかい瞳に、褐色の肌。さらに特徴的なのは、体から溢れ出る漆黒しっこくの闇。影が揺らぐ理由は
そこにあった。絶えず溢れ出てくる闇は、彼を守るようにして体全体を覆っていく。

「ひとつ聞かせろ。お前、後ろの子供ガキを守りながら戦うつもりか?」
「ええ、何か問題でも?」
「いや。問題って言うものでもない。ただそれじゃあ、俺の圧勝でつまらないと思ってな」 
「自身の力を過大評価しすぎでは? 慢心まんしんは致命傷を生みます。敵である貴方ですが、この忠告だけはさせて頂きます」
「結構ッ! 気概もよし! 後ろの子供を守るっていうなら、まず先にお前を殺してやる」

言葉に込められた極大の殺意。瞬間的に闇の出力は増し、周囲の悪気あっきはさらに色濃く染められていく。少年はすでに気負けし、その場から一歩も動けない状態だった。額から流れる汗は止まらない。長旅の旅路で遭遇した困難はあれど、目の前に塞がる災厄など目にしたことは無い。震えは止まらず、ガクリと膝から落ちる。生気せいきさえすでに消え失せたその瞳に映るのは、光と闇。対極に位置する二つの属性をその目に映しながら、彼は一心に体を動かそうと震え立たせる。
だが、無意味。本能が警鐘を鳴らす。立ち上がるな、対抗するな。動くことさえ許されない。本能が打ち鳴らす号砲ごうほうに、思考は伴うがそれに対する反応がさえぎられる。少年はすでに自身の命運を決められない。その権利は闇に剥奪された。

「大丈夫」

女性は優しく声をかける。視線を移さずともわかる、今少年は震えている。彼女の役目は決まっている。たとえその命尽き果てようとも、少年の命をつないでみせる。彼女の行動理念はそこにある。だから、迷わない。明確な目的は力の矛先を正確にする。女性の手に力が籠る。光の粒子は躍動やくどうし、彼女の体をさらに輝かせた。

「ふ、ふふ、ははははははは!
 俺の名は『無皇むおう』。無界の闇をもって、貴様の光を喰らってやる!」

そうして、無皇むおうは吠えたぎる。
これぞ、始まりの号令だ。今こそ我が願いを成就させよう。
闇は限界を知らず、世界の汚染を助長じょちょうする。闇の飲まれたその世界は、属する世界とは異なる属性を付与される。その属性とは"無"。何も存在しない、全てを拒絶する。この世ならざる世界。本来あるはずもない世界は、他の空間とせめぎ合う。だが汚染されている以上、闇が優勢にあるのは確かである。

「必ず、守ってみせます。この命に懸けても!」
彼女の願いは崇高すうこうであり、願いとしては最上級の輝きを持つ。
誰かを守りたい。自分より大切な誰かのために。その想いの強さは、無皇の心に秘めた暗闇に勝るとも劣らない。誰かを殺すための戦いと、誰かを守るための戦い。逆ベクトルの意志を掲げた両者は、互いにその属性を高め、

そして―――。

「は、あっ!」

勝負の火蓋は突如として、光の突進と共に切って落とされた。 

光の粒子の輝きは、女性の右手を包み込むようにその形を形成けいせいしていく。その形は短剣のようなものだった。逆手にそれを握りながら、女性は無皇との距離を一気にせばめる。

「はッ!」

一閃。光の残滓ざんしを残しつつ、短剣の一振りが空を斬る。
余裕を持った回避行動のまま、無皇は数歩後ろに後ずさる。

「その短剣。無から有を創り出した、か」

「無から有を創り出す? そんなもの、アレ・・でなければ不可能なことです」

だからこそ、無皇は眉を潜めた。自身の目の前で、その不可能な事象が引き起こされているから。

「その光は、ふむ、なるほど。理解した」

だが無皇はその真意を即座に理解。一気に攻撃へと転じる。全身から溢れる闇を操り、光の元へ射出する。闇を斬撃の形へと変え、狙うは光の肢体したい。全てを拒絶する性質を持っている以上、その攻撃は防御不可能。回避手段しか選択肢はなく、女性は同じように数歩後ろに飛んだ。

「光の粒子は"過去"を繋ぎ、その記憶を呼び覚ます。無から有ではなく、過去存在したはずの有を投影しているが正しいか。噂は耳にしているよ、記憶を司る神霊アストラル
「光栄だと思いたいところですが。貴方にそう言われても、単なる侮辱ぶじょくにしか聞こえません」
「確か神霊アストラルの中でも高位存在であるはずの貴様が、たった一人の子供相手に命を懸けるとはな」
「個人の自由です」

対話の終了と共に、神霊は片方の手に別の武器を投影とうえいする。
それは短剣ではなく、極東の国に存在した手裏剣しゅりけんと呼ばれる代物だった。遠距離からそれを無皇目掛けて投擲する。曲線の軌跡を描きながら、それらは一寸の狂いもなく無皇の闇に呑まれてしまう。狙いのズレはなく、その結末は仕方ないとも言える。防御不可能であるその闇は、また攻撃不可能の盾と化す。攻防こうぼう共に付け入る隙なし。

「なら」

だが、それでも突破口は必ず存在する。
神霊アストラルは光の粒子を全身に纏わせて、さらに投影した手裏剣を次々に投擲とうてきする。四方八方しほうはっぽうから迫り来るやいばを、無皇は指先すら動かさず全てをさばききる。闇の操作を欲しいままにした彼は、まさに無敵の城塞じょうさいであった。意志一つで動きを操るその能力に、神霊は少しばかりの敬意を抱く。

「そこに、突破口はある!」

そう。操作に意志が必要になるということ。そこに致命的な隙が存在する。 

「なっ!?」

刹那、神霊の姿は消え失せる。
光の残像は彼女の姿を曖昧にして、霧散むさんしたその瞬間響いたのは全身の痛み。体はくの字に曲がり、無皇は無様に数メートル先に吹き飛ばされた。

「その闇は攻撃を遮る。ならば、その隙間を狙えばいい。簡単なことです。それほどの速度があれば」
「なるほど。不意打ふいうちだぞ、それ。正々堂々と向かってこいよ」
「あら? 貴方は勝負に誇りを持つ御方おかたなのですか? 私にはそうは見えませんでしたが」

うっすらと笑う。不気味なほどに。
たった二、三度の攻防に少年は息を呑む。創世記に記された通り、目の前の美しき女性は神の如き力を持つ神霊アストラル。それに相対するのは、無界の闇という不可思議な力を操る存在。たった数秒の戦闘に、少年は神の領域を垣間見た。息を呑むことしか出来ないほど、その数秒の世界は未知の世界だった。

「闇にほうむってやる」
「受けてたちます」

再び、相対する光と闇が激突する。
蘇る記憶の残滓は闇と激突しては朽ち果てる。闇の侵攻を光の軌跡がそのみちを遮る。僅か一秒の中に繰り広げられる数度の攻防。頭の思考はそれに付いていくことは出来ない。少年はその戦闘を前にして、ゆっくりとその腰を落とした。
何もないはずのこの平地が、紛争地域の過激地帯かげきちたい彷彿ほうふつとさせるほど。光と闇の一進一退、その速度は数々の戦闘の記憶を軽く凌駕するほど圧倒的だ。少年は魅入る。光と闇が描く軌跡に圧倒されて。高次元の戦いをその目に突きつけられて、己が未熟さに絶望する。

「ぐ、ぅ」
「ふ、はは!」

女性はその速度をさらに跳ね上げて、闇の防御網の隙を突く。最初は攻撃を与えることに成功していたものの、徐々に慣れてきたのか、攻撃を捌く頻度が増してきた。刹那に繰り広げられるのは数度の攻防で、そして僅か数秒で無皇はその速度に合わせられるまで慣れを引き伸ばす。跳ね上がりを見せる光の速度に、しかし無皇はそれを完璧なまでに対処する。女性に浮かぶのは苦難の表情。予想を遥かに超える無皇の戦闘経験が、彼女の算段を悉く凌駕する。

神速とも思えるその戦闘、そして鑑みるべき戦況変化。
少年は直感する。この戦闘の決着はすぐにつく、と。

「つ、あァッ!!」
「さあ、もっとだァ!」

そして目の前に広がる戦闘を見る限り、その決着の行く末など簡単に予想がついてしまう。考えるべきではない、それほど彼は心底そう思うのだ。こちら側の勝利を願っているから。

だが現実はそう甘くはない。それを象徴するように、闇の侵攻は止まることを知らず。闇は光を塗りつぶし、圧倒的不利な状況へと押し込んだ。
蘇らせた記憶の残滓は、無残にその光を失う。圧倒的な力を見せつけられてなお、果敢に立ち向かう光の姿。少年は力の込められない身体を心底呪った。拳を握り、歯を食いしばる。
戦闘はいずれ終結に向かう。永遠に続く戦闘などありはしない。しかし少年はその永遠を願ってしまう。負けて欲しくない。だがその願いは裏を返せば、勝利を諦め放棄していると捉えられる。そう思わざるを得ない自分の情けなさを、彼は心の底で笑った。

「どうした。神霊ともあろう者が、裏切り者に負けていいのかよ!」
「黙りなさい!」
「事実だ! 戦況など、たった一押しで覆る。圧倒的有利アドバンテージから圧倒的不利ディスアドバンテージにまで押しやられるからこそ、分からねー! 貴様からは慢心が見えたぞ。それが敗因だと、認めてやる」
「慢心、だと。何を根拠に」
「俺に勝てる。そうして立ち向かってきた。それ自体がすでに慢心なんだよ。一個人が、王たる俺に勝てる道理は存在しない」
「例えそうだとしても!」

神霊は今この状況を辛くも真摯に受け止める。

彼女の目的は勝利ではない、守りきることだから。

「私は、負けられない」 

そうだ、だからこそ。
己の命を燃やし尽くそう、守るべきものの為。
己を対価にし、命の灯火を輝かせるのだ。

過去を司るからこそ、彼女は知っている。過去の尊さを、そして過去を未来へ繋げる大切さを。自分の命を懸けてでも、守りたい過去があるのなら。

「こんな、もの!」

全身を駆ける光の粒子。その奔流はさらに輝きを増す。これ以上ないほどに、彼女は己を対価とし自身の力を昇華させる。
その天上知らずの輝きを前に、無皇は恍惚こうこつの表情を浮かべた。

「いい、いいぜ。もっと輝けよ!」

金色を彩る光の躍動さえも、この闇はいとも容易く飲み込んだ。
紅に輝く瞳は、血に塗られた宿命。全てを殺すと誓ったその瞳に、迷いなど一切存在しない。
拒絶する、漆黒の闇。飲み込まれたモノは忽ち無に還る。その特性である防御不可能の一閃は、彼女の心臓をしっかりと射止める。

「やめろ、やめろォォォ!!!」

突如として、響いてきたのは少年の激昂。
射出される寸前だった闇を押し止め、無皇は少年のほうに視線を移す。

「どうした、少年。何かあるか?」
「いけ、ません……」

ゆっくりと、その照準を横にずらす。
もちろんその先には少年がいる。そして女性もまた、その直線上へと移動する。

「殺るなら、俺を殺れよ。クソ野郎」

身体の震えは止まらない。思考は俺を押し止めようと警鐘を鳴らす。だが、止まらないのだ。
彼女が少年を守ってくれるように、少年も彼女を守りたい。その断固たる願いが、少年の一歩を後押しする。例えその先に絶望が待っていようとも、少年は怖気付かずにその願いを口にする。

「あァ……」

そして、

「面白いな、てめぇ」

無皇は少年を笑い、

「だが、どれほど強い意志を抱こうとも、定まった運命は覆せない。それを心に留めて、死ね」

少年は自身の終わりを悟る。
無慈悲な言葉に、終極へと導く闇の一閃。少年の心臓を穿たん、と数メートルの距離を一気に縮める。

「く、そ」

少年は悔やむことしか出来なかった。
それしか出来ないこの状況を呪った。
呪って呪って、少年は自身の運命の末路を辿る。

辺境の地で引き起こされる新たな運命。狂い始めた運命の歯車は、世界の旋律すらも歪ませて。その音色を徐々に徐々に、不旋律へと変えていく。
光は闇に葬り去る。微かに残る光の残滓を、少年はただただ追い求め続ける。どんな闇であろうとも、照らし続ける暖かな光を。